初めまして!
心理セラピストKaeです。
自己紹介を兼ねて線維筋痛症という原因不明の病気と診断されるまでの事
診断されてから現在に至るまで辿ってきた道のりを綴りたいと思います。
幼少期から高校卒業まで
小さなころから体のだるさや頭痛はまるで私の一部のようにありました。
すぐに横になりたがる私を見て、祖母が「この子はごくとうじゃ」と言ったことがありました。
(これは高知の方言で「怠け者」という意味なんです。極道ではありません(笑))
子供ながらにとても悲しかったことを覚えています。
今思えば、小さな子供が横になりたがるのはエネルギーが足りなかったり、具合が悪いということですよね。
祖母に悪気はなくて、ただ理解できなかったのだろうと思います。
でも、わたしはその言葉をしっかりと心に刻んだような気がします。
母は、わたしの具合の悪さを理解していました。
そして、このままではすぐに寝込んでしまう子になってしまう!と一芝居打つことにしました。
「あのね、みんな体が痛くて、頭も痛くて具合が悪いんだよ。でもね、○○ちゃんも、○○ちゃんも元気に頑張ってるよね!」
そんな風にわたしに話したそうです。(わたしは覚えていないのです)
そうして私は、自分の一部のような痛みや倦怠感とともに、ごく普通の生活を送ります。
社会人になってからの変化
高校を卒業と同時に、大阪の会社で働くようになりました。
この頃から、体の痛みや体調不良は無視することができないほどに強くなってきました。
常に微熱があり、会社の階段を上がることさえ難しいと感じる日々が増えていきます。
それでも体にムチ打ちながら、気持ち的には日々楽しく、初めての仕事、初めての都会生活を満喫していました。
ある時、私の体調を心配してくださった上司の紹介で、病院を受診することになりました。
自分の症状を調べてもらうのは初めてのことです。
もしも原因がわかったら、お薬があったら、私の痛みや倦怠感も無くなるかも!と希望をもっていました。
いろいろと検査をしましたが、まったく異常なし。
お医者様からは「健康そのもの!全く問題ない」と太鼓判を押されました。
「健康そのもの。まったく問題ない」
わたしは、その言葉を聞いておじいちゃん先生の前で堪え切れずに泣いてしまいました。
「どこも悪くないのに、どうしてこんなに痛いのでしょうか?どうしてこんなに辛いんでしょうか?」
先生は「どこも悪くない」の一点張り。気のせいではないかと仰いました。
わたしはどうにも納得がいかず、もう少し大きな病院で検査してもらうことにしました。
大阪城の近くの病院だったことを覚えています。
祈るような気持ちで検査結果を聞きに行きました。
「どこにも何の異常もない。自律神経失調症ですね。もし気になるのであれば精神科を紹介しましょうか?」
この時初めて『自律神経失調症』という言葉を聞きました。
「精神科を紹介しましょうか」その言葉に衝撃を受けました。
あまりにもショックで、病院のエントランスの段差に気付かずに転んでしまい、その拍子に足首を捻挫してしまいました。
なかなか立ち上がれずにいたとき、救急搬送が終わったレスキューの方が通りかかり車椅子に座らせてくれました。
動けるようになるまで座っていて良いですよと親切に言葉をかけてくださいました。
ひとりぼっちで、広いエントランスの真ん中で車椅子に座っている自分に、恥ずかしいやら情けないやら悲しいやらで、痛い足を引きずって帰りました。
私が20歳になった頃のことです。